突発性難聴で入院治療始まる。便利入院グッズ
さて、前回は突発性難聴で入院1日目を書きました。
夜中2時になっても眠れず、
睡眠導入剤をもう1錠もらう。
いつの間にか眠れていました。
しかし、やはり熟睡は出来ず、
早朝4時に目が覚めてしまいました。
前日から始まったステロイドの点滴は
とても身体がだるく、
そして頭痛を伴いしんどかったのを覚えています。
当初私は、
点滴治療をしたら耳が聞こえるものだと思っていた。
しかし、1日だけでは何もかわりません
巨大音の耳鳴りは治まらず・・・
眠れないけど身体はしんどいので
ベッドでごろ~んとして過ごしました。
早朝4時、まだ電気もつきません。
耳が聞こえないだけで身体は健康、
あ~~、入院って退屈だ~~
それならせめて、ごはんを食べさせておくれ~~
病院食ですが、
カロリー計算された普通食を食べることが出来たので
食事は私の楽しみに
特に好き嫌いもないのでなんでもおいしく頂けました。
結構洋食もあっておいしかったですよ。
入院中の一番の楽しみは、
それはそれは、子供たちがお見舞いに来てくれること
娘は抱っこでやって来ますが、
息子はパタパタ歩いてやって来る
足音で分かるようになりました。
来た~~と気づいた瞬間の嬉しいこと。
入院2日目から耳の検査が始まりました。
担当の先生が外来の診察に行かれるまでの30分
毎日の問診と診察です。
聴力検査などは入院病棟から外来病棟へ移動し、
外来の合間に診てもらいます。
私の点滴は7時間ほどかかるので、
まず9時に一番にシャワーの予約を入れ
10時から点滴開始、
点滴が始まると高濃度酸素マスクが始まるので
ベッドから動けません。
外来での診察の時間が来ると酸素マスクだけ外して、
点滴をガラガラと引いて外来へ。
娘の入院の時に付き添い入院したので
シャワーのことや、食事のこと
洗面所、テレビ・・・
入院のことは結構把握していた。
入院中快適に過ごす為に、
前もって色んな準備はしていました。
シャワー室は取り合いになるので
いつも早朝に記入しに行きました。
9時〜17時までがシャワー利用可、
点滴の時間によってはシャワー出来ません。
そういうのも段取りよく設定しないといけません~。
入院中に色々と気づいたものはメモっておいて
主人にメールし、
買って来てもらったり、持ってきてもらったり
少し甘えました
入院してすぐ頼んだ物
- 目薬(病棟はものすごく乾燥する)
- クロックス(点滴の為、足の浮腫みが激しい)
- 小さなゴミ箱(以外とゴミが出るが点滴中は捨てにいけない)
- お菓子(息子が来た時に渡すため)
治療とはいえ家族と離れて過ごすのは寂しいもので、
そして退屈。
本をたくさん持って行き、よく読書をしていました。
その時の気持ちやどんな検査があったかなど
日記もつけていました。
今読み返しても辛いことが多く、
読んでいて涙が出るのでした。
今から思うと、
辛い事って結構忘れるんだな~と思いました。
久しぶりに読み返してみたけど、
あ~、あんなこともあったな~、
こんなこともあったな~と思う事も多々。
忘れることは幸せなことなんだな~と思いました。
辛いことがずっと頭の中や
心の中に残っていたらしんどいですよね。
検査をしていくうちに、
「頭か耳に腫瘍があるかもしれません」と言われ
ショックを受けたのも思い出しました。
それを電話で主人に伝える時も涙がぽろりん。
これから私はどうなるんだろう~。
突発性難聴は腫瘍のせいもあるそうで、
必ずMRIの検査も必要とのことでした。
MRIは予約制、
ずっとうまっているので退院したらやりましょうとなり
ずっと不安が残るのでした。
MRIのことはまたいつか・・・。
結局、頭、耳の腫瘍は見つからず、
やはり産後の疲れから来る突発性難聴でした。
これがわかるのに1ヶ月、辛い辛い日が続きました。
しかしこれで甲状腺腫瘍が見つかったわけでもなかったのです。
そして同時にさらに辛いことが・・・。
いつもよくしてくれたおじの死、主人の祖母の死・・・
どちらもかけつけることが出来ませんでした(涙)
そして育休中だった私の会社の経営悪化
知らないうちに
早期退職の希望を募るところまで話が進んでいて
説明会に出席するようにと連絡が・・・
入院中なので出席出来るはずもなく、
退院後にしてもらいましたが、もうなんだか頭が真っ白でした。
会社がつぶれたら、
私はどうなるの??不安なことだらけ・・・。
私の突発性難聴、甲状腺腫瘍、会社の早期退職、
頭の中は考えても何も解決しないことばかりぐるぐるまわる
『突発性難聴で入院でも1日だけ外出が許された』
はまた次回に。
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