「恐らくガンです」って言われた時の恐怖。

             

すっかりご無沙汰になっている私の病気シリーズ。

久々にいきます。

こういうのが嫌いな方はスルーしてね(笑)

 

今とても幸せに過ごせているからこそ書けること、

私の記録として、

もしも誰かの役に立つのなら、そう思って書いています。

 

以前から書いていますが、3年前にガンが見つかりました。

(初耳の方はサイドバーの記事から見て下さいね)

 

突発性難聴で大学病院を紹介された日

触診で見つけてもらったんです。

今まで風邪の症状で何度となく耳鼻科や内科を受診し

甲状腺の触診をされましたが

指摘されたことはありません。

だから奇跡の診断でした。

 

まず、突発性難聴の入院治療をし、

退院後の副作用が収まった頃、

外来で甲状腺(首)のエコーを撮ることになりました。

 

突発性難聴で入院中、

担当の女医さんは

『きっと大丈夫だからね』と言ってくれました。

『甲状腺の腫瘍は女性にはよくあること

良性が多いから心配ないよ』

先生は何度も言ってくれました。

 

『退院後にエコーを撮りますが

多分問題ないからすぐ帰宅出来るからね~』

こちらとしては左耳は聞こえないまま、

そしてガンまで見つかる・・・

そんな不安なことはありません。

しかし、女医さんの優しい言葉が嬉しかったです。

 

エコーの日、

8月の暑い暑い日でした。

当時1歳の娘を抱っこし病院に行きました。

 

主人は付き添ってくれませんでした。

相変わらずひどい人です(笑)

(主人のひどいネタはサイドバーからもご覧頂けます、笑えます)

 

主人は仕事が忙しかったから

仕方ありませんが、

まだガンだと決まった訳じゃなかったので

配慮にかけていたのだろうがまん顔

 

首元が大きく開いた服で来て下さい

と言われていました。

 

妊娠中にエコーを受けたことはありますが

ガンのエコーは初めて。

担当の女医さんだったのでほっとしましたが

心臓はバクバクでした。

 

エコー室に入り、ベッドに寝ころび、

エコーのジェルをつけられ診断が始まる。

 

女医「大丈夫だからね、

これを撮ったらすぐ帰れるよ~」

先生はそう言いましたが、

なんだかじっくり診るんです。

 

ずっと首のつけねあたりを

コロコロ、コロコロ、エコーしてます。

パソコンを切り替えながら

何度も何度もコロコロ。

 

そして先生、

何も告げずに走り出した。

 

あっちのパソコンでカチカチ、

こっちのパソコンでカチカチ、

プリンターからは用紙がジャンジャン。

 

exclamation and question

なんか異様な空気・・・。

 

戻って来た先生に聞いてみました。

 

私『先生、どうですか?』

女医「あのね~、あとでちゃんと説明するね、

とりあえず、これが終わったら外来に来て下さい」

 

先生は無言で

丁寧にジェルをふいてくれました。

 

あ~、何か大変なことになったんだな~、

すぐ帰れるはずだったのにな~。

心臓はドキドキ、バクバク。

 

外来は既に終了していますが何人かいます。

さっきエコー室で待っていた人が数人。

 

私の順番になりました。

先生はパソコンを打ち続ける。

 

たまらずに聞きました。

 

私『先生、どうでしたか?』

 

女医「あのね~、実はね~、

あまりよくなかったの」

 

私・・・たらーっ (汗)

 

私『ガンですか?』

そう聞くのが精一杯。

 

違うと思いたかった、

私がガンな訳ない。

先生は違うよ~って言ってくれるはず。

 

ガンだったら家族が呼ばれるはずだもんね、

そう思って一生懸命聞きました。

 

女医「ステージ1~5まであってね、

あなたのは4だったの。

恐らく甲状腺に出来る乳頭ガン」

 

私・・・絶句たらーっ (汗)

 

女医「1が良性、2がほぼ良性、

3がわからない、

4がほぼ悪性、5が悪性、なのね」

と言われました。

 

もう返事も出来ないほどにショック。

 

しかも私一人で突然の告知だったので

聞こえる右耳だけで聞き取るので必至。

(左耳は突発性難聴で聴力が落ちていた)

 

女医「でもね、

まだ検査してみないとわからないの、

エコーで4が出ても

9割で良性なのがこのガンなの」

 

女医「来週、細胞診の検査をしましょう、

きっと大丈夫よ」

 

そう言って細胞診の検査の説明と

段取りをして下さいました。

 

先生どこかに電話し

「30代女性、来週急ぎで細胞診入れて下さい」

と言いました。

 

頭の中は真っ白、

無事に家に帰れるかも心配になる。

主人は夜勤で寝ているので電話したらかわいそう・・・

 

電話なんてしたら

きっと帰り道に涙が溢れ帰れない

そう思って我慢しました。

 

でもこんな時は

いつも助けてくれるNちゃんにだけは報告しておこう

そう思いメールしました。

「耳はかわりなく、

腫瘍はよくなかった、

声を聞いたら泣いてしまうからまたね」

 

Nちゃんも心配してくれていたので

すぐ返事が来ました。

 

仕事中なのに

車で迎えに行ってあげると返信してくれました。

 

それこそ泣いてしまうので断りました。

すると、

「気を付けて帰りや、なんかあったらすっ飛んで行くしな」

と返信してくれました。

ほんとに有り難い人です。

 

その日、娘は病院の隣の一時保育に預けていました。

突発性難聴の入院時

定員がいっぱいなのに受け入れてくれた

とても親切な保育園です。

 

これからの通院の時や

お母さんの気晴らしに利用して下さい

と言って下さっていました。

 

最初の入院から毎週病院通いだったので

お言葉に甘えてお願いしていました。

一時保育の先生は

私の顔を見るなり何か悟ったのか、

「お母さん座って」

と言って話を聞いてくれました。

 

ほんとに数日前に知り合ったばかりなのに、

親身になって下さいました。

突発性難聴で入院する時から

母のように話を聞いてくれました。

 

耳が聞こえないだけでも心配している母、

駆けつけたいのに駆けつけられず、

そんな母には腫瘍のことは話せません。

 

優しく聞いてくれる先生に甘えてしまい

つい腫瘍のことも話してしまいました。

 

心に蓋をしていたものが弾けるようでした。

そして涙が溢れ、

先生も涙ボロボロになり聞いてくれました。

やっぱり聞いてもらうだけで心は落ち着くんだな~。

 

お陰でちょっとスッキリし、

娘を抱っこして帰りました。

 

帰りの坂道、バス、

バスを降りてから・・・

ずっと・・・

ガン、ステージ4、悪性、

どうなるの私?が頭をよぎります。

 

帰宅するとちょうど起きて来た主人。

子供たちには聞こえないように

リビングのドアを閉め、洗面所に行きました。

 

主人「ほんで、どうやってん」

 

言おうとしても言葉が出ない私。

支えがとれたのか涙が溢れました。

そして、嗚咽が出て来て

声を出して泣きました。

主人の背中で。

 

何故背中なの・・・

主人は前かがみになって

歯磨きしていたのです。

 

きっと胸も貸してくれないであろう

この時ばかりはと、背中で泣きました。

 

涙がとまった時、

いや、主人が顔を洗い終わり

背筋を伸ばしたので背中が使えなくなった。

 

主人「で、どうやってん」

 

私『ほぼ悪性やって、

1~5まであって、4やって』

 

また涙が溢れました。

再び嗚咽。

 

主人末期やったんか?

末期やったんか?

と聞いて来ました。

 

その瞬間、

exclamation and question末期exclamation and questionとなり・・・

 

『知らん~、それは聞いてへんな~』

何かひとごとのように答えてしまった私あせあせ (飛び散る汗)

 

不意打ちな質問で涙も止まり、

ちょっと笑ってしまいました。

その様子を見て主人もほっとしたのか

「まぁ、まだわからへんし、ちゃんと検査していこう」

そう言ってくれました。

 

よくテレビで見るけど

「ステージ4」って言うと

結構悪いイメージですよね。

 

次回ちゃんと聞いて来ないと。

今回は頭が真っ白で何も聞けなかったんです。

 

でもね、あの人はやっぱりひどかった。

手術の日以外何度も検査がありましたが、

一度も付き添ってくれませんでした。

 

前にも書きましたが、

「俺が一緒に行って病気が治るんか雷」でした。

あ~ひどいどんっ (衝撃)

絶対に忘れない(笑)double exclamation

 

でも、あんなひどい主人だったから

今の幸せがあるように思います。

一緒に泣いてくれる人だったら

きっとこの家がくら~い、くら~い

陰気な家になっていたと思います。

 

あの涙、

後にも先にも

ガンのことで主人の前で泣いたのは

あの時だけ。

 

左耳も聞こえない、

会社もつぶれかけている。

強くならないと、

生きて子供の成長が見たいexclamation

と思ったからです。

 

私がガンだと言う言葉が

息子の耳に入らないようにしました。

当時5歳の息子

「お母さん死ぬの?」

って思ったらかわいそうだから。

 

一人になると不安で

涙が溢れる日がたくさんありました。

子供の前では泣けないもんね。

 

不安だから検索する、

そしてまた不安になる

そんな日が続きました。

  • 甲状腺悪性
  • 乳頭がん
  • 細胞診 痛み
  • 甲状腺傷あと
  • 甲状腺末期

検索するのはそんなことばかり。

 

この時は

今が一番どん底だと思っていましたが、

まだまだ辛いことは続きました。

検査を受ける度に、

結果が出る度に

辛い気持ちになりました。

 

私の中では

魔の36歳とよんでいます。

 

36歳になってすぐから

36歳が終わるその日まで

辛いことは続きました。

 

でも生きていればなんとかなる。

 

いよいよ、次回は細胞診

(腫瘍に針を刺して組織を取ります)

 

まだまだ続きますがよかったら読んで下さいね。

これがまた笑えるくらいひどい話でね~、

どうぞお楽しみにウィンク


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Comments

  • はぁ・・・・
    こわいですね。まさか自分がと思うけど、でもガンって多いですもんね。。。
    ステージの概念、思っていたものと違いました。
    うちもガン家系だからな。。。

    しかし、こういうときも旦那様はマイペースですね。逆にそのおかげで救われるのかな??

    • ナナソラママさんへ

      あ、ステージの概念は間違っていないと思いますよ。よくテレビで見るのは進行度ですよね。
      私が言われたのはガンの悪性、良性の判断のステージです。
      だから主人も末期か?と聞いたのだと思います。
      ナナソラママさん家はガン家系なんですね。それは心配ですね。
      うちはガンは誰もです。だからまさか私が・・・でした。

      旦那ですか(笑)?!マイペースと言うか自己中と言うか・・・
      なったもんはしょうがないやろなドライ家系です。
      でも当時は一気に白髪が増えました。心配してくれてたのかもしれません。
      ひと段落したら白髪減りましたから。

  • 先ほどコメントさせてもらってから、ブログ読ませてもらっています。
    わたしも幼子がいるので、涙が溢れちゃいました( ; ; )
    旦那様とナイスコンビですね♡

    • ノンさんへ

      長い長い記事をお読み頂いてありがとうございます。
      当時は辛い辛い日が続きましたが、今とっても幸せです。
      楽しいことで楽しんでます♪
      主人、いい人なんです♪

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