父、龍門滝で鹿児島を想う。
先日、ブログで仲良くさせて頂いているエミさんの記事にビビッと来ました。
エミさんは鹿児島の方で、私の両親も鹿児島出身。
時々鹿児島のことを記事にされているので勝手に懐かしがっています。
ビビッと来たのは龍門滝(日本の滝百選)に行かれた時の記事です。
その時の記事はこちら。
(お写真お借りしました)
とっても綺麗な滝です。(私は知りませんでした)
:龍門滝:
網掛川の上流に位置し、高さ46m、幅43mの雄大な滝で、
県下でもまれに見る名滝のひとつ。
(エミさんのブログより抜粋させて頂きました)
その滝は鹿児島県姶良市加治木町にあります。
姶良市加治木町・・・鹿児島市内からはだいぶ遠いこの場所
ここはまさしく私の両親の故郷なのです
懐かしい
鹿児島へは中学以来行っていませんが記憶がビビッと蘇りました。
小さい頃はずっと京都に住んでいたので鹿児島へは1度帰ったくらい。
その後、父が長崎に転勤になったので何度か帰りましたがそれ以来です。
両親も今は東京、父もずっと病気なので鹿児島を想うのは本当に久しぶり。
そんな時、母から電話が来ました。
定期入院していた父が退院したので
『お父さん元気にしてるよ~』の電話でした。
グッドタイミングだったのでエミさんの記事の話をしたのです。
母にブロ友と言っても通じないので『パソコンの友達』と言いました。
滋賀にいるのに鹿児島の人と友達なのも驚いていました
そして龍門滝知ってる?と聞いてみると母も懐かしい懐かしいと言いながら
どんどん鹿児島の記憶が蘇り話が盛り上がりました。
「加治木はお父さんの家の近くだった」
「龍門滝はとっても綺麗な滝で小学校の遠足でも行った」
「蒲生の大楠にも行った」「誰々が働いていたところがある」
ほとんど小学生の時の記憶(60年前の記憶)なのです。
そして、「お父さんあれなんてとこだったっけね~」と
ふと父を見たら父が涙を流していたそうです。
難病で寝たきりの父、耳や脳の神経は大丈夫なのですが
筋肉の神経が衰える進行性の難病(ALS)の為動けません。
母と私との電話で母の話だけを聞いて会話を想像して
父も小さい頃の記憶、鹿児島の記憶を思い出していたようです。
そして、瞼の動きでパソコンに何かを打ったそうです。
『はれたそら(晴れた空)』これだけうつのも3分ほどかかります。
龍門滝でふと見上げたら晴れた空が見えたのかな~。
父もどんどん思い出しているようです。
父はこの病気になり、動けない分、脳の神経が優れて来たのか
記憶が鮮明になって来ました。
カレンダーがなくても、この時は何年の何月何日の出来事だなど
色々な事を思い出し、パソコンで旅日記をつけるようになりました。
父が住んだところのこと、家族旅行、東京に来てから・・・など
また旅日記(鹿児島編)が増えるかな~。
そして会話のところどころで父も口を横に動かし笑ったりしたそうです。
いつも天井を見ているだけの父、母が一方的に話すことを聞いている父
たまにはこういう刺激がとっても嬉しいようです。
そして『お父さんに声を聴かせてやって』と母が言いました。
実は、私は父が病気になってからこのお父さんに声を聴かせるのがとっても苦手です。
父の耳元に携帯を置いてあげて私が一方的に喋ります。
父はずっと聞いてくれますが、返事が返って来るわけでもなく、
父の表情も見えません。
話が途切れたらいけないと思って一生懸命に喋ってしまいます。
なぜか、ちょっと無理してしまうのです。
相槌や返事がなく一人で喋り続けるのって難しいです。
そして、やはり涙がダラ~~と出てしまうのです。
父も私の声を聴くと顔が真っ赤になり涙がダラ~と出るそうです。
声が出ない分、嬉しいと涙が出るのです。
そうなると私も喋れなくなるので
いつも息子や娘に代わって喋らせています。
父も孫の声を聴くとまた涙がダラ~~なのです。
息子はおじいちゃんにたくさんお話が出来ますが、
娘は『おじいちゃん、なんで寝てたの?』や
『おじいちゃん、ねぇ、聞いてる?○ちゃんだよ』
そして『おじいちゃん何も言わない~』となります
でもこの日は鹿児島のブロ友エミさんのお陰で
蘇って来た鹿児島の記憶をたくさん一方的に話しました。
父も懐かしい出来事をたくさん思い出し涙がダラダラ出たそうで・・・
母が『お父さん泣いてるよ、また泣かしたね』
『今、お父さん笑ってるよ~』『お父さんと行ったね~』など
父の表情を見て教えてくれました。
3人で涙を流しながら鹿児島を思い出したのでした
最後の方は父もずっと笑っていたそうで、何を想っていたのだろう。
喜んでくれていたなら嬉しいです。
このことをブログに書きたくてエミさんに確認したところ
とっても快く了承して頂きました。
エミさん、ありがとうございます。
また鹿児島のことブログで書いて下さいね
父が寝たきりになり9年、食べることも喋ることも出来ません。
父の病気はあまりにも進行が早すぎました。
病名が分かってから動けなくなるまで半年かかりませんでした。
旅行に連れて行ってあげることも出来ませんでした。
プレゼントを渡すこともなくなりました。
何をしてあげたらいいのか・・・
何が嬉しいのか・・・
やっぱり顔を見せてあげたり、電話をしてあげるのが一番嬉しいのだと思います。
母がテレビ電話やパソコンが使えたらもっとしてあげられることが増えるのですが、
24時間介護だけでも大変なので無理は言えません。
父は今年70歳になります。
古希のお祝いに父の思い出になるイベントを計画したいと思います
:古希:
唐の詩人杜甫の詩
曲江(きょっこう)「酒債は尋常行く処に有り 人生七十古来稀なり」
(酒代のつけは私が普通行く所には、どこにでもある。
(しかし)七十年生きる人は古くから稀である)に由来する。
古希は長寿の祝いとされている。
お祝いの色は、喜寿祝いと同じく、紫色。
紫色で何か考えてみます。
長くなってしまいました。
最後までお付き合い頂き、ありがとうございました
(こういう話が嫌いな方はごめんなさい)
Comments
素敵に紹介してくださりありがとうございます(*^_^*)
涙だら~ってなりながら、拝見しました(*^_^*)
ご両親にとって故郷ですものね。
昔の思い出がいろいろよみがえってこられたのでしょうね…
加治木は今も自然が豊かでいいところです(^◇^)
「加治木まんじゅう」というおまんじゅうが有名でとっても美味しいんですよ。
私は仕事で県内あちこちまわっています。
これからも記事にしていきますのでお付き合いよろしくお願いいたします。
お父様の生活が快適でありますように、お母様が介護疲れされませんように祈っています…
エミさんへ
こちらこそ、ありがとうございました。
エミさんが龍門滝に行かれなかったら私も加治木を思い出すこともなかったはずだし
両親と鹿児島の思い出話も出来なかったので、エミさんのお陰です。
加治木まんじゅう、きっと食べたことがあると思いますが記憶にはないです。
から芋やあく巻き、カルカン、豚味噌はよく食べました。
鶏のお刺身を食べる時の鹿児島のお醤油がとってもおいしかったのを覚えています。
また記憶がよみがえって来ました。
いつかまた鹿児島にも行ってみたいですが、そのいつかが叶うまでは
エミさんのブログで行った気分になっていますね♪
父や母の心配までして頂き、嬉しく思っています。
又、私の記事をエミさんのブログで紹介してくださり、ありがとうございました。
優しい旦那って(笑)・・・ちょっとにんまり笑ってしまいました。
我が家のことをとっても素敵に書いて下さったので嬉し過ぎました♪♪
本当に本当に、ありがとうございます!
お父様退院おめでとうございます。
お元気とのこと、良かったですね。
って!!うちの母も鹿児島で育ちました!鹿児島には親戚もいて、そして私の祖母のお墓もあり、今年の秋お墓参りに行かなきゃねって言っていました。
小さいころは夏休みによく鹿児島の親戚のうちに遊びに行っていましたよ!
谷山というところです。
ナナソラが1歳の時連れて行ったのですが。。。
現地で突発にかかり、夜間救急に何度も走りました(涙)
鹿児島は夜間救急のシステムが結構いいです(笑)
ナナソラママさんへ
父の退院のこと、ありがとうございます。
え!!ナナソラママさんのお母様も鹿児島なのですか??
共通点がたくさんですね!!
うちの両親の親戚も鹿児島にたくさんいます。
両親が元気な頃はお墓参りにも行っていましたが、もう無理なので
お墓は親戚に任せています。
谷山ってところはちょっと記憶にありません。鹿児島市内でしょうか?!
私の両親は鹿児島駅からも鹿児島空港からもずっとずっと遠い田舎でした。
ここで鹿児島の話が出来るってなんだか不思議ですね♪
エミさんのお蔭でお父様に少し、親孝行が出来て良かったですね。
これからもちょくちょく電話してあげてね。
前にも話したと思いますが、夫の両親も鹿児島出身なので、私も何度か行ったことがあります。
錦江湾を挟んでみた桜島が懐かしいです。
でも、この滝のことは知らなかったです。
cocorokkさんへ
ほんと、エミさんのお陰です。父にもいい刺激だったと思います。
ブロ友さんで鹿児島繋がりの方多いんです。不思議ですね~。
私も滝のことは知らなかったです。
なんせ小さかったので記憶に残っている事の方が少ないです。
それでも食べ物の記憶は意外と残っているんです。笑えますね。
私も綿江湾は知らなかったです。
きっと、またいつか、エミさんが紹介して下さりますね♪
素敵なお話でした~!そうだよね~思い出すよね~。
お父さんにとってはおかぁさんと二人いつも通りの生活ができて、たまにお孫さんやお子さんと触れ合えたら幸せなんじゃないかな~。あ、聞いてないですけど。
我が父と同じ歳です。私はひねくれてるので、父とはほぼしゃべらない人生を送ってきましたが、ここ5年くらいは少し会話も増えました。古希のお祝いと思いますが、う~~む。。。
決まったら教えてね!参考にするから。
Rifakoさんへ
優しい言葉、ありがとうございます。
母は父の介護が生きがいのようです。父はお喋りな母、面倒見のいい母に支えられています。
二人がそろって初めていつも通りの生活になります。このいつも通り=幸せなんですね。
古希のお祝い何がいいですかね~。
うちは飲めない、食べられない、動けないなので難しい~。
パジャマもベッドもお布団も介護専用の物だし・・・。
私は子供たち(孫)の成長記録写真のような・・・飾って見てもらえるものにしようかな~
って思ったり。DVDとかは母が使いこなせないし・・・。
もしも、父の病気が治り食べられるようになったら、夫婦箸と夫婦茶碗をあげたいです。
食べられる幸せをまた味わってもらいたいから。
Rifakoさんのお父様にいかがですか?おいしいもの食べてもっと長生きしてね♪って。
古希のお祝いを機にまたたくさん会話して下さいね。
しみじみと読ませていただきました。
全く状況が違うのに重ね合わせるのは申し訳ないですが
家族の大切さを感じていた時でしたので・・・
良いお話しをありがとうございました(*^_^*)
凸!
ゆうひさんへ
私もいつもゆうひさんの状況を重ね合わせてしまっています。
今日も勝手にもらい泣きでした。
旦那様想いのゆうひさんほんとに素敵です♪
ぽっかりあいてしまった穴、ゆっくりゆくっりうまっていきますよ。