突発性難聴で入院までのあれこれ

             

さて、今日からは突発性難聴で入院編です。

 

この、私の病院通いブログ、みなさんに読んで頂き、

たくさんコメントを頂き、ありがとうございます。

みなさん温かいコメントを下さり、

涙がポロりんとなっています涙

 

本当はどんなコメントが来るのかな~と思いビクビクしていました。

今のところ温かいコメントばかりでよかったです。

 

でも、

読んでいて気が重くげっそり (顔)←こ~んな顔になっていませんか~exclamation and question

そんな時はスルーして下さいね。

 

ではでは・・・

担当の女医さんにポンと背中をおしてもらって

入院を決意したのですが、

二日後に長男保育園最後の最大のイベント、

夏のお泊り合宿が迫っていました。

 

これは、絶対に絶対に行かせてあげたかった。

私が入院することになり

長男が不安になって合宿が楽しくないといけない、

最後まで準備をしてあげて見送ってあげたいと思い、

先生に相談。

すると薬を多めに出すのでキッチリ飲んでおいて下さいと言われ

2日後まで延すことに了承して頂けました。

 

その頃、左耳の耳鳴りは

常に横でヘリコプターが飛んでいるような感じ。

 

左耳の聴力が落ちているので、

正常な右耳が頑張って聞こうとするのでしょうか

小さな雑音まで拾ってしまい、

右耳はものすごい負担でした。

 

片方が聞こえないと身体のバランスもおかしくなり、

まっすぐにしていることも辛かったです。

ここまで悪いのに

メニエールになっていないだけでもラッキーだったそうです。

メニエールになっていると、

ぐるぐると目がまわり、吐き気もひどいのだとか。

 

私の場合、

高音が耳に響きわたり

鼓膜の激痛と頭痛が半端なかったです。

悲しいかな、息子と娘の喋り声が一番耳に激痛でたらーっ (汗)たらーっ (汗)

娘が泣いた時は両耳をふさいでいました。

我が子の声が辛いなんて、

母としてもう辛くて辛くて、よく泣きました。

 

そして、ひらめいたことひらめき

耳栓を買うexclamation

 

こんなひどい母親いるのかな~と思いました。

 

子供の声が聞こえないように涙

ちょっとでも子供の高音を避けるために

自分の耳を守る為に、耳栓を購入しました。

これ、大正解でした指でOK

耳栓をすることで子供の高音を回避でき、

雑音も拾いにくいので鼓膜の痛みが激減。

吐き気も少しましになり、

やっと少し仮眠が出来るようになりました。

 

飲んでいる激マズのお薬

「イソバイド(液体のお薬)」がありました。

突発性難聴に出される有名なお薬です。

 

突発性難聴は疲れなどで血流が悪くなり

聴力が落ちる病気だそうです。

このイソバイドは血流を良くするお薬、

動悸いきぎれ、頭痛、不眠、倦怠感

こんな症状が出ます。

そしてトイレが近くなりすぎる。

そんなわけでほんとに十分な睡眠がとれないんです涙

 

それに、突然の断乳のせいで寝かしつけに困る。

毎晩の寝かしつけ、お昼寝の寝かしつけ。

眠たくなったら何をやっても泣き叫ぶ娘、

寝るまでにかなり時間がかかる。

抱っこし耳元で泣かれるので鼓膜が激痛

本当に辛くてもう限界に近かった。

 

でも、

娘も急に沿い乳&授乳がなくなり

ストレスだったんですよね~。

かわいそうに。

 

耳栓を使うと

音を完璧に遮断するのは無理ですが、

かなりましになりました。

 

 

そして、息子を自転車で保育園まで送り、

入院準備の買い物、息子の合宿の買い物。

娘を連れて電車に乗りあっちこっち行きました。

家族が困らないように自分で出来ることはやっておきたかった。

 

耳が聞こえないととにかく苦労しました。

  • ホームで次来る電車の放送が聞き取れない
  • レジなどで何を言われているかわからないあせあせ (飛び散る汗)
  • 3人以上では誰が喋っているかわからないあせあせ (飛び散る汗)

 

口元を見て喋っているのを確認していたので

左耳に話しかけられていても気づかない、

無視してるようでイヤな顔をされたこともありました。

聞き洩らすことも多くなっていたので

開き直って『左耳が聞こえないので・・・』と言っていました。

そう言うとだいたいみなさん親切にしてくれました。

何度聞いてもわからないと書いてもらったり。

 

 

低音が聞こえない難聴だったので、

音や会話が電子音のように聞こえ、

低音部分が聞こえず抜ける、途切れ途切れに聞こえていたのです。

電話は右耳でしていましたが、慣れていないので一苦労でした。

 

そして、

『私の耳が治らないので入院する』という

辛い事実を息子に説明し、納得させるのも大変でした。

 

主人の勤務上、主人の実家に預けるしかない、

運が悪いことに義母は海外旅行中

3日後にしか帰らないと聞く。

 

2日間は主人が休むことにし、

義母が帰国してから一時保育に娘を預ける準備をする。

娘の入院の時に息子を預かってもらいましたが、

娘を預かってもらうのは初めて。

息子はなんでも出来ましたが、1歳の娘は手がかかる。

義両親は娘を1日見るのは無理だと思い

一時保育を探しました。

 

実際、義父は無理だから保育園に預けて欲しいと言いました。

義母は預けなくていい、

ちゃんとみてあげると言ってくれました。

が、数時間預けてみるとやっぱり無理だと。

 

何日続くかわからないのでお互い疲れない方がいいと思いました。

 

息子が通っている保育園は一時保育が出来ないので

兄、妹は別々の保育園に預けることに。

入院する日の前日、病院に入院届を提出に行き、

そのまま大津市の一時保育が出来る保育園を探して回りました。

(もちろん、一人で、8㎏の娘を抱っこして徒歩で。

もう7月上旬、暑くて暑くて・・・倒れそうだった)

 

この一時保育探し、これも奇跡が起こりました。

神様、ありがとう。

 

私が入院する病院の横に保育園があり、

一時保育が出来ると書いてあったのです。

お寺が経営されている保育園、突然覗いてみました。

なんだかヘロヘロの私に気づき、

和尚さんがドアを開けて下さいました。

 

ドアが重たかったのでとっても助かりました。

お礼をして保育園に向かうとすると、

和尚さんも一緒に行かれます。

もしかしてexclamation and question

『園長先生ですかexclamation and question

『はい、そうです。娘さん暑そうやね~、まぁ入りなさい』

事務室に入れて下さいました。

 

ここなら義両親の実家と近いし、送り迎えも大丈夫。

ついでにお見舞いも来てもらえるから娘にも会える。

 

『これこれこうで・・・』

入院するから義両親に預ける間、

この子を一時保育で預かってもらいたい、そう言いました。

『そうですか、わかりました』と言って

担当の先生を読んで下さいました。

 

本当は優先順位があり、

今待機児童がいるのでダメなんだけど、

助けてあげたいのでOKですと。

その日に入園準備をして下さいました。

 

本当は小児科に入園許可証を書いてもらったりと

制約があるのですが、それもよいとのこと。

本当に感謝です。翌日から預かってもらえることになりました。

担当の先生も本当に親身になって下さいました。

 

女医さんの言葉、『今は人の手を借りなさい』

このことだな~、有り難いな~と思いました。

 

明日は息子は合宿、私は入院、

主人は夜勤でいない。

 

息子は夜寝る前に、

息子と娘と私とで最後に写真をとってほしいと言いました。

お別れが寂しいから、そして私が一人だと寂しいから・・・

写真を見ていつでも思い出してねって。

 

そんなこと言われると私は泣けてきた。

 

たっくさんの笑顔の写真を撮りました、

その直後息子が泣きました。

『やっぱりお母さんと離れたくない~あせあせ (飛び散る汗)あせあせ (飛び散る汗)

息子5歳、そりゃあ寂しいですよね。

『絶対にお耳治すから、合宿頑張りや、帰って来たらお見舞い来てね』

そういうと息子も納得してくれました。

もう甘えてはいけないと思ったのかな~。

 

合宿当日、息子に持たすお弁当を作り、

主人が夜勤から帰宅し、家族で息子のお見送りに。

 

どの子も親と離れるのを寂しがっていましたが、

私と息子は心がえぐられるような寂しさでした。

見送ったら私は入院、

息子は帰宅したらお母さんは病院。

お父さんとも離れおじいちゃんおばあちゃん家へ。

 

ちゃんと理解していました。

ギュッと抱きしめいってらっしゃい。

あ~、二人とも涙。

涙でバイバイ泣き顔

 

まわりのお母さんが

『永遠の別れのようやで』と言いました。

私はそんな気分だった。

 

入院のこと、耳が聞こえないことは

ママ友の仲良しのNちゃんにしか話していなかったのです。

 

そして車をかっ飛ばし、入院までに娘の保育園グッズを購入、

色々準備してお昼前に入院しました。

 

入院してすぐ私はお昼ご飯。

主人と娘、帰国した義母は外食へ。

私はその後シャワーへ。

その後から点滴が始まります。

入院前に疲れすぎたらしく、入院した時には熱がありました。

安静の為にそこでみんなとお別れ泣き顔

娘は『ママ』『パパ』『抱っこ』『バイバイ』と喋り出した頃。

何もわかっていないので、

離れる時も『ママー、バイバイ』とあっさりでした。

 

部屋は耳鼻科病棟の4人部屋。

カーテンを閉めて個室のようにしても

人の喋り声や気配で落ち着くことは出来ません。

ベッドで点滴が始まる。

実は点滴は苦手、血管が細いので入るところがありません。

両肘の内側はダメで、

手のひらから15センチほどの内側の痛い痛いところでしたあせあせ (飛び散る汗)

 

点滴(ステロイド)が入ると急に身体がカ~どんっ (衝撃)となり、

薬が流れるのがわかりました。

そして急激に動機がし、気分が悪くなる。

看護師さんに伝えると、すぐましになるよ~でした。

3分ほどです~とましになりましたが

この世の終わりのようでした。

 

そして、これが重要なんだと、

酸素マスクを鼻にはめさせられる。

高濃度酸素を吸うことにより、血のめぐりがよくなり

難聴が改善されるとのこと。

この酸素、ものすごく鼻がツーンとします。

 

そして、2~3時間と言われていた点滴、

初日はなんと5時間でした。

症状が重く、濃度が濃いから入るのに時間がかかるとのこと。

薬もきつく、だんだんしんどくなる。

 

夜は眠れないので睡眠導入剤を飲むように言われる。

しんどいのに、疲れているのに、

睡眠不足なのに、寝れません。

家族と離れて寂しい、娘が心配で寂しい、

息子合宿楽しめているかな~。

いろんなことを考えてしまいます。

 

夜点滴が終わり、睡眠導入剤を飲む。

寝れない。

2時、もう一錠もらい飲む。

寝れた、眠りました。

やっと長かった1日が終わった。

 

これが1週間だと思うと気が遠くなるのでした。

二日目からは点滴が7時間にあせあせ (飛び散る汗)あせあせ (飛び散る汗)

突発性難聴はまだまだ続く。

 

次の日から検査が始まりました。

『頭に腫瘍があるかもしれません』ガーンあせあせ (飛び散る汗)

 

つづく・・・

 


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Comments

  • 家族みんなでどんだけ頑張ったんだろう…
    そう思うと涙なしには読めません
    今、こうやってブログを書いているnananさんを知っているから、「でも、大丈夫なんだ!」と思えるからこそ読めます…本当はこれからのほうが大変なんですよね~

    大変さの中にも保育園に入れたり、運の強さを持っていますよね~
    神様はnananさんの見方をしてくれていますね(*^_^*)

    • エミさんへ

      いつも温かいコメントありがとうございます。
      私の心の底にあるものを書いてもよかったんだ~~と思いました。
      そうなんです!まだまだ困難は続きますが、意外と大丈夫なんです!!
      我が家の家族パワーに支えられ頑張りました。
      そうか~、神様は見ていてくれたんですね。

  • こんばんは。

    本当に大変でしたね。
    私も娘さんと同じように、息子が1歳の時に入院して
    ちょうど主人も半年ほど前から病気だったので色々大変でした。
    去年と今年の自分の手術の時は、実家に息子を預けたのですが
    それでも大変だったのに
    nananさんはきっとそれ以上大変だっただろうなと思います。
    良い方々に恵まれて、本当に良かったです(^^)
    私も点滴の針が入りにくいようで・・・似ていますね。

    • junさんへ

      今から思うと手術の時が一番大変でしたが、でもそれまでの1つ1つも
      私にとっては最大レベルの大変さでした。
      救いだったのは少しずつ色々と見つかったので心の準備がしやすかったことです。
      大変さは人とは比べられないですよね。
      病気だけではなく、震災の時なども、みんな何かの事態には本当に大変で
      その時最善のことをやっていると思います。
      痛い記憶はどんどん忘れていきます、大変だった記憶もどんどん忘れていきます。
      そのうち、あ~あんなこともあったな~と思うんだろうな~と思います。
      辛い記憶よりも楽しい思い出が増えていることに感謝したいです。

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